例によって、自宅から大荷物と一緒にタクシーに乗車したのですが、某JR線の駅前までの道すがら、意外な出会いがあったのでございます。
扉が開いて、キャリーバッグともども後部座席に乗り込み、運転手さんの横顔を見た瞬間、ん?、何かこの人フツーではないんじゃないか?、という閃き(ひらめき)があったのです。
別に、差別とか偏見ではないのですよ。
50代くらいでしょうか、左の耳たぶには、小さな黒い石のようなピアス。
ハンドルを握っております左手には、薬指と中指に、ゴールドの割りかしガッシリした指輪が。
髪は短髪、若干ツンツンした感じで立て気味だったのですが、茶髪であります。
顔は、英語教材「おしゃべりアメリ缶」の小林克也(こばやしかつや)さんみたい。
わたくしめの荷物の多さからか、「お客様、どちらか海外へお出掛けですか?」から始まった車内トーク。
「カナダなんです」の言葉に対して、やや食い気味に、「カナダはどちらですか?」とテンポの早い切り返しです。
「トロントなんですけど」
「あぁトロントですか、カナダはいいですよねぇ」
「行かれたことがあるんですか?」というこちらの質問に、待ってましたとばかりに繰り出された返答は、「実は、高校1年生の時に、1年間なんですけど、バンクーバーに留学してたんですよ」。
「私は、今55歳ですから、40年前になるんですけど、当時は、直行便なんてのがなくてねぇ、飛行機はみんなアンカレッジ経由だったんですよ」
「バンクーバーはそれほど寒くないし、自然にも恵まれているし、最高でしたよ、当時は水道代がタダだったと思いますね、それっくらい資源が豊富な街でした」
話の展開が非常に面白くなってきたので、「海外に留学して、何が一番好かったですか?」と質問してみたのです。
「それはねぇ、お客さん、何と言っても、『価値観』が広がったってことですよ」
「日本にいる時には解らなかった、堅苦しさっていうんですかねぇ、校則とかいろいろあるでしょう、ルールに縛られている感覚がカナダにはなかったんですよね」
「日本では当たり前なことが、カナダでは異常なことになっちゃうんですから」
「そんな価値観を崩壊させられるようなことが毎日起こるんです」
「で、いつしか、『どうにかなるさ』、『別に命を取られる訳でもないし』とか、妙に達観しちゃったような、気が長くなっている自分に気が付いたんですよ」
トークは更に熱気を帯びて参りまして、調子に乗って聞いてみたのは、お馴染みの「英語の習得」についてです。
「日本は、小学校から英語の授業をやるとか、そんな話になってますけど、それについてはどう思われますか?」
「私らの頃は、おそらくお客さんも同じだったと思いますけど、英語の授業は中学1年からだったですよねぇ?」
「それを小学校にしても、大差はないんじゃないですかねぇ?」
「授業だけで英語を使っていても無理だと思うんですよ、休み時間も何も、学校に登校してから帰るまで、日本語禁止にでもしないと、まず英語の習得は難しいと思いますねぇ」
「でも、それをやろうとすると、日本人の先生では、おそらく無理でしょうし、インターナショナル・スクールみたいに、莫大な授業料とかになっちゃうかもしれませんしね」
「自分も、『英検』とか受験しましたけど、テストのための勉強でしたからねぇ、それを目標にするのもいいとは思うんですけど、テストの先にあって、生涯使っていくのが言葉だと思うんですよねぇ」
タクシーの中の、およそ20分間。
ひたすら、海外留学、英語習得について意見を交わしていたのですが、印象的だったのは、「海外留学の意義は、既存の『価値観』を広げられること」、と端的におっしゃっていたことです。
「英語の習得」に関しては、上手いとか下手ではなく、とにかくガイジン勢とコミュニケーションすること。
文法なんて無視した英語だらけで、こんな英語で十分なんだと、留学当初の時点で、肩の荷が下りたとも言ってましたね。
とにかく、しゃべり続けることだと。
日常生活において、価値観を揺さぶられるということ。
そんな機会は、日本においてはあまりないかもしれませんが、こんなこともそれに当たるのかもしれません。
多少の恨み、つらみも込めて、お話しさせて頂きますのは、某出版社にて、わたくしめの価値観が揺らいでいた時期のこと。
学生時代、社会に出るまで、「部活」というものに属したことがない、超文化系。
「上下関係」とか「先輩後輩」とか、何だかわずらわしいし、出来れば関わりたくないとか思っていたわたくしです。
「さとり世代」とか、どちらかと言えば、今の20代の方々に考え方が近かったのかもしれません。
世はバブルでした。
ノリが悪いヤツは許さないというような風潮が、世間には蔓延しておったのです。
そんなか弱いわたくしが配属された先は、文化を創造する(?)出版社とは思えないほど「体育会系」色の強い部署。
ほぼ毎晩の宴会。
お酒を一滴も飲めないわたくしにとりまして、新入社員時代の1年間は、まさに「地獄」の1年であったのでございます。
わたくしめの、それこそ大嫌いな日本語の1つに、「俺の酒が飲めないのか?」があります。
諸先輩方から、「俺の酒が、俺の酒が」と言われても、だ〜れのお酒も飲めないの。
あなたのお酒だけじゃないの、どなたさまのお酒も、わたくしは平等に飲めないのよ。
などと、心の声は声高に叫んでいるのですが、相手は凶暴な(?)先輩たちですから。
この1年間で刻まれたのは、「体育会系の男子たちは、大抵お酒を強要する」という「価値観」でした。
まあまあ2年目からは、矛先は新入社員たちに向かいましたし、「まったく飲めない田中」というイメージも社内に蔓延(?)したというのも手伝って、さして厳しい攻撃も受けなくなってきたのは幸いでした。
そんなある日、縁あってプロレスラーのザ・グレート・カブキさんと出会ったのですが、この出会いは大変意外なものだったのです。
小学生の頃からの大ファンでしたので、ご本人にお会い出来るのは本当に奇跡。
うれしくて仕方がなかったのですが、不安な部分も多少ありました。
某酒場のママさんがセッティングしてくれた宴席だったのですが、こちとら完全なる「下戸(げこ)」です。
相手は、20歳も年上で、どう考えても大酒飲みのプロレスラー。
どうやって対処したら好いのだろうか?
緊張感でガチガチになっているわたくしに、初対面のカブキさんはこう言いました。
「酒が全然飲めないんだって?、でも、別に俺の前で、無理して飲むことなんてないからさ」
「酒の席はさぁ、みんなが楽しくないとダメだと思うんだよ」
「飲める人、飲めない人、カラオケだってそうでしょ、歌が苦手な人だっているんだからさ」
「強制はダメだよ、何でもさ」
え?、プロレスラーって、体育会系の権化(ごんげ)みたいな存在だと思ってたんですけど。
以来、20年以上の時を経ていますが、カブキさんからは一度も「飲め」と言われたことはありません。
先日、このことをご本人にお話ししたんですよ。
「初対面の時に、『酒、飲めよ』とか言われていたら、たぶん2度とお会いしてないと思うんですよね」
すると、「俺も、さんざん先輩たちから、酒を無理強いされてきたんだけどさ、カッコ悪いじゃない?、嫌がってる人にさ、エラそうに酒を飲ませるなんてさ」。
「俺の考えっていうかさ、『価値観』に合わないから、どんな若い衆と飲んでも、酒を強要しないんだよね」
やはりサラリーマン時代なんですけど、最後に組んでいた上司も、大学まで野球を続けたバリバリの体育会系の方だったのですが、この方もカブキさん同様、例外的(?)な人物でした。
「田中君の酒は、俺が全部飲むからさ」
「酒は、美味しく飲める人が飲むべきだと思うんだよね」
もう、このように言われた時は、神々(こうごう)しくて背中に後光が差しているようでした。
社会人になり、体育会系=お酒を無理に飲ませるという誤った「価値観」に支配されていたわたくしは、当たり前ですけど、そんな人たちばかりではないという、新たな価値観を抱くようになったのございます。
こんなのも、「価値観」の揺らぎ。
日本は、おそらく世界一安全な国だと思うのですよ。
女性が夜、独りで歩ける。
自動販売機が盗難や破壊されたりもしない。
24時間営業の店舗が襲撃されることもほとんどないし。
これらは日本では当然なのですが、海外では異常なのですね。
もうホントに「異常事態」です。
海外にあれだけ24時間営業のコンビニなんかがあったら、犯罪が多発してしまうでしょう。
間違いなく強盗の格好の標的になってしまうはず。
でも、日本だと事件が起こることは少ない。
加えて、日本はほぼ「単一民族国家」なものですから、その「価値観」が多様にはなりづらい訳です。
諸外国からの移民の数も限られていると思われますし、大昔の「鎖国」の時代から、「変化」は極力「限定的に」済ませたい。
「事なかれ主義」とまでは申しませんが、「変わること」が苦手な国民かもしれませんね。
服装とか、いわゆる「流行」の話ではなく、あくまで「価値観」という意味でね。
「保守的」と申しましょうか、支配階級から見れば「まとめ易い」。
そこには雑多な「価値観」がない訳で。
「平和」が当たり前だった時代には、まったく持って意識してこなかった「価値観」が、それが脅かされそうになって初めて、見直されたり、再評価されたりもそうですね。
ある「価値観」があって、別の「価値観」とぶつかることによって、元からあった「価値観」を考え直したり、守ろうとしたり。
「刺激」と言っても好いかもしれませんが、「価値観」を揺さぶられることには、かような効果があるのですね。
さて、わたくしたち日本人には至極当然な事象でも、外国人の皆さまからすれば、信じられないなんてなことが、そこいら中にあるのがニッポン。
先日、読んでいて、大いに納得。
こりゃ面白いねと、思わずヒザを打った書籍がございますので、ここでご紹介させて頂きます。
タイトルは、「クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン」、著者は鴻上尚史(こうかみしょうじ)さん。
講談社現代新書からの刊行で、定価は税別760円であります。
まぁ、外国人が見た日本人のここが「クール」という物、及び事が多数指摘されていて、本当に興味深いんですけど、「外国人が、これはクールだと思ったランキングベスト20」をほんのサワリだけ。
1、洗浄器付き便座
2、お花見
3、100円ショップ
4、花火
5、食品サンプル
6、おにぎり
7、カプセルホテル
8、盆踊り
9、紅葉狩り
10、新幹線
11、居酒屋
12、富士登山
13、大阪人の気質(ノリの好さがラテン系に近い)
14、スーパー銭湯
15、自動販売機
16、立体駐車場
17、ICカード乗車券
18、ニッカボッカ
19、神前挙式
20、マンガ喫茶
日本人の「価値観」からすれば、その存在は当たり前なのですが、外国人から見れば良い意味で「異常」であったり、素晴らしかったり。
海外生活をしたことのある方なら大いに共感。
「そう、そう、そう」とか言いながら、盛り上がっちゃうこと請け合いでございます。
我々が海外に行った時もそうですが、外国人の皆さんも、ニッポンを訪れた際には、メチャメチャ「価値観」を揺さぶられている訳ですね。
文中には、ガイジンさんが「自分が日本人化していると思う瞬間」という箇所もあるのですが、外国でタクシーに乗る際、自動でドアが開くのを待ってしまった時というのがありました。
海外では、ドアが自動で開くタクシーはありませんものねぇ。
日本では「常識」であっても、海外では「非常識」
この「価値観」の差を体験するのも、海外旅行の醍醐味の1つかもしれません。
今回のカナダ入国時、例によって「税関申告書」を記入したのですが、パスポートに挟んで、バッグの中にしまっておいたのは好かったのですが、提出する段になって、上部がチャックに挟まり用紙が破れてしまいました。
ギリギリ名前の部分は切れていなかったのですが、思いっきり切れてしまっています。
入国審査の列に並びながら、やはり書き直すべきだろうか?、とそばにいた係員に聞いてみるや、それで大丈夫。
え?、こんなに破れてるのに?
永住者カード(PRカード)を機械にかざし、「税関申告書」を挿入するように指示が出たので、破れている方から差し込んでみるや、見事にエラー。
で、機械がどのような指示を出してくるかと思えば、書類を上からではなく、下の部分(破れていない方ですね)から入れなさい、と来た。
ホントかよ?
ひっくり返して、破れていない方から挿入すれば大丈夫なの?
こんなに破れてんのに?
結果は、見事入国を許諾され、「どんなマシンなんだよ」とひとり言。
日本だったら、これだけ破れた書類でしたら、おそらく書き直しではないだろうか?
かと思えば、空港の公衆電話からトロントの自宅に電話を入れた際。
25セントコインが2枚必要(別に、1ドルコイン1枚でもいいんですけどね)なんですけど、財布にはカナダドルの25セントコインとアメリカドルの25セントコインが、1枚ずつしかありません。
コインの側面のギザギザは、ちょっぴり違うみたいだけど、大きさもほとんど同じだから一緒に入れてみるか、と試してみるや見事に電話が掛かりました。
他国のコイン同士を一緒に使用出来る。
これも日本では無理かもしれません。
海外生活をしておりますと、「価値観」及び「先入観」を良い意味で崩されることが多々あります。
こんなのもオッケーなのかよ?、そんなのの繰り返しであります。
日本国内ではあまり体験出来ない、「価値観」の崩壊。
「価値観」を揺さぶられると見識が広がるので、やはり人生にも厚みが増すのでしょうね。
さまざまな「価値観」に出会うことこそが、海外生活の最大のメリットかもしれませんね、日本が世界一便利な国なのは、ほぼ間違いありませんが、便利だからこその「息苦しさ」なんかもあったりして、今週は内容が割りかしマトモね、好きですトロント!
*資料図書 「クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン」鴻上尚史 講談社現代新書 これはお薦めです!
*掲載写真は、バッグのチャックに挟まって無残にも切れてしまった「カナダ税関申告書」の切れ端。ものの見事に破れております。ギリギリ名前の部分が切れていなかったのはラッキーだったですね。



こんにちは。
毎週、興味深く、楽しく、拝見しております。
今日は、お尋ねしたいことがあり、コメント欄をお借りします。
9月より、娘がトロントのCentral Technical Schoolに留学を勧められております。
そこで、もしこちらの学校について、田中様がご存知の事柄がございましたら、教えていただけないでしょうか?
大切な娘ですので、安心な高校に留学させてやりたく思っております。
個人的な質問で、大変恐れ入りますが、よろしくお願い申し上げます。
久しぶりのアクセスで読みふけってしまいました。
こちらにコメントさせて頂くのは初めてですね。
「英語の習得」に留まらず「他国語の習得」からのコミュニケーションから生まれる価値観に関しては、思わず「うんうん」と頷いてしまいました。
私は趣味の日本発のオンラインゲームを通じて知り合った、”ガイジンさん”達とコミュニケーションをとっています。
独自のマッチングシステムで他の言語(日本語/英語/フランス語/ドイツ語)あるいは複数にチェックを入れると、その言語の方達と一緒に遊べます。
この類のゲームは特に、協力やコミュニケーションが不可欠なのです。
印象的なのは
私が仲の良いドイツ人に、「どうして君達、日本人以外の人には、日本語がわからないのに日本人とマッチングするように設定しているの?みんなコミュニケーションがとれないから正直迷惑に感じている日本人が多いんだけど。」と率直に疑問をふっかけてみました。
(実際問題、足を引っ張ったりする”ガイジンさん”のプレイヤーが多数存在する為です。
起動時の言語が表示されますが、この先入観で意図的に排除を行う日本人がかなりの数、存在します。)
別の仲の良いフランス人は「日本人は全体的にゲームが上手だから、効率的にクリアできるからじゃないの?」と言いました。確かにそうかもしれません。
私が「ありえない。」とあまりのずうずうしさに苛立ち、釈然としないでいると、ドイツ人は「僕は色々な国に留学したり、旅行をしているけれど、”日本語がわかる”っていう概念が日本人のそれとはかけ離れているからだと思う。」との回答でした。
詳しく聞くとドイツ人は「彼らの言い分だと、「日本語?勿論、”わかる”よ。Kawaii,Ninja,Dogeza,Seppuku,Sushi。なのに、どうして日本人に排除されるか分からないね。酷いと思わない?」という回答が帰ってくる。」と答えてくれました。
思わず「えーっ、そんなの”わかる”うちに入らないじゃん!」とモニターの前で絶句してしまいました。
彼らと知り合った際も、皆様英語やローマ字で日本語を喋りますが、私の母国語を聞いて、ドイツ人には「Guten Morgen!」フランス人には「Bonjour!」から始まり、英語の他に相手国の簡単な単語を交えて会話をします。
そういう事に対して「Sugoku happy desu. Japanese very sweet daisuki desu.」と返事が帰ってくるので
ドイツさんのそういう考えも本当なのかもしれないなぁと思いました。
私の住む日本の国の事を当然のごとく彼らは知りたがるし(私も興味があります。)、自分の中の伝統的な日本知識や歴史の認識があまりにも不十分すぎて「もっと自分の国のことを知らなければ」と言う危機感が芽生えますし、同時に日本の教育にも疑問を感じます。
現在、相手の国にはない表現を、相手の国の言葉でどう表現したら良いのか?が私の課題です。
子供を語学留学させたい親の気持ちが非常によく分かる標題ですね。
生の体験、とても考えさせられました。
随筆活動、心より応援しております。
初めまして。
この度は、コメントを頂戴しまして誠に有難うございました。
さて、お問い合わせの「Central Technical School」でございますが、あまり評判はよろしくないようです。
文中に、「個人的にお聞きしたい」旨がありましたが、こちらもあくまで「私見」としてご了承下さい。
学校批判を書いてしまいますと、営業妨害に当たってしまう可能性もありますので、どうかこの文章のトーンからご推察頂ければと思います。
わたくしにも娘がおりますので、心中はご察し申し上げます。
どうか十分にご検討頂ければ幸いです。
歯切れの悪い文章で大変恐縮でございますが、どうかご理解下さい。
今後とも、「好きですトロント!」をどうぞよろしくお願い致します。
田中フラッフィー
この度は、コメントを頂戴しまして誠に有難うございました。
ガイジン勢とネット上でコミュニケーションしているのですね。
田中にはない「世界観(?)」でありまして、非常にのぞいてみたい空間だと思いました。
思うに、ガイジンさんたちの方が、他国の言語に対するハードルを低く自己設定していると思うのです。
この程度話せればとりあえずオッケー!
それに対して、日本人は真面目と申しましょうか、完璧主義と申しましょうか。
もしかすると見栄っぱりなのかもしれませんが、どうせしゃべるなら、ある程度きちんとした外国語を、となってしまうのかも。
文中に、「相手の国にはない表現を、相手の国の言葉でどう表現したら良いのか?、が私の課題です」とありましたが、大いに同感であります。
先日、たまたまこの件について娘と話していたのですが、「トロントでは(欧米では)、何でもかんでも良い行為をした場合、『Good job!』ばっかり使ったりするからねぇ」、と言ってました。
しばしば話題になりますが、日本語の「お疲れ様です!」なんて、どんなに頑張っても英語での正確な表現は不可能かと。
娘曰く、「英語は、日本語よりも表現にバリエーションがないからねぇ」だそうです。
そうなんですよ。
漢字、ひらがな、カタカナを使いこなす言語ですから、日本語はね。
アルファベット1種類しかない英語では、その表現力では当然劣勢に立たされると思うのです。
ことバリエーションに関してはね。
「いただきます」もそうですよね?
「ごちそうさま」もしかり。
食べ物に関する感謝。
生きているものから命をもらって、それに対して感謝を込めている訳で、そこまでの深みを英語「ひと言」で表すのは不可能です。
「おつかれ様です!」って英語で何て言うんだろう?
厳密に表現するのは無理だな。
そんなことに日常的に、定期的に気づかされるのが、海外生活かもしれません。
日本人と英語圏の人間たちが、英語という言語を媒介にして、「心の底から共感し合い」コミュニケーションするのは、正直無理だと思います。
でも、それでも必死に相手の気持ちを汲んで、上手ではなくても必死に話そうとするのが、本来のコミュニケーションの姿かも。
おそらく、日本国内の「駅前留学」では絶対に得られない何かが、海外留学にはあるんですよね。
CowCow様、今後ともお時間のある時などは、「好きですトロント!」にお立ち寄り下さい。
コメント投稿、誠に有難うございました。
田中フラッフィー
こんにちは。
この度は、答えに困る質問をしてしまい、まことに申し訳なく思っております。
それにもかかわらず、返信をくださり、ありがとうございます。感謝しております。
今後も楽しみにしておりますので、末永くブログを続けてくださいませ。
コメントを頂戴しまして、誠に有難うございます。
いえいえ、答えに困る質問でも、トロントの実情を出来る限りお伝えするのが当ブログですので大丈夫です。
毎週毎週、話せる範囲で割りと言いたい放題書かせて頂いておりますのでご安心下さいませ。
とにかく娘さんの留学が、安全で有意義なものになることをお祈りしております。
すべてにお答え出来る訳ではありませんが、自分が体験した範囲ではお伝え出来るかと思われますので、今後とも「好きですトロント!」をどうぞよろしくお願い致します。
田中フラッフィー